「トウキ」(前編:奥飛騨温泉郷編)

飛騨の山で受け継がれてきた薬草「トウキ」。
古くから女性の健康を支える薬草として知られ、人々の暮らしとともに歩んできました。
福地山で起きた予期せぬ出来事。山の厳しさと優しさ。
そして、人を信じる心。
飛騨の自然と薬草文化を背景に描く物語です・・・

【ペルソナ】
・シズル=シュウ(38歳/CV:日比野正裕)=東京で働いていたマーケティング会社を辞め、地域おこし協力隊として奥飛騨温泉郷福地温泉に移住。福地温泉を選んだのは元々化石に興味があったから。現在は信飛トレイルの活動に関わり、福地温泉の旅館を手伝いながら平湯のカフェにも集まる
・よもぎ(26歳/CV:蓬坂えりか)=カフェ「よもぎ」オーナー。漢方薬剤師。薬草を求めて奥飛騨温泉郷福地温泉の山へ入ったとき道に迷ってしまう→冷静なよもぎは薬草掘り用のスコップを岩にうちつけて、国際基準となっている山の遭難信号のリズムを鳴らす

【シーン1:遭難信号】

◾️SE:森の中の野鳥
=スコップを岩に打ち付ける音/「カン!」と1回鳴る

「え?
いまの音・・・」

◾️もう一度スコップを岩に打ち付ける音/「カン!」と1回鳴る

「7、8、9・・・
まさか・・・」

◾️スコップを岩に打ち付ける音/「カン!」と1回鳴る(以降等間隔で合計6回鳴る)

「1分間に6回・・
間違いない、救難信号だ」
山岳遭難信号。
これを使うということは、熟練のハイカーか・・
とにかく、音のする方向を見定めよう。

◾️スコップを岩に打ち付ける音/「カン!」と1回鳴る(合計6回まで)

雨上がりの奥飛騨温泉郷・福地温泉(ふくじおんせん)。
立ち込める霧の彼方から、かすかな遭難信号が響いてくる。

私の名前はシズル。
福地温泉を拠点とする地域おこし協力隊だ。

かつては、東京・丸の内で働くAI分析アナリスト。
その仕事を辞めて、福地に移住してきたのが3年前。

移住の目的は、地域おこし協力隊。
福地温泉の旅館を手伝いながら、奥飛騨温泉郷の魅力を発信している。

もともと子どもの頃から、筋金入りの化石オタクだった。
部屋にはアンモナイトの置物が鎮座している。
福地温泉に移住したのも、日本最古の化石が発rrr見された場所だから。

とはいえ、化石発見エリアの一の谷(いちのたに)へは、立ち入りが厳しく禁じられている。
私は午後から、『福地化石遊歩道』の安全点検をしていた。

◾️スコップを岩に打ち付ける音/「カン!」と1回鳴る(以降60秒おきに6回鳴る)

「1分間の静寂のあと・・・再度発信」

国際基準通りだ。

あの音・・・
高く澄んだ、小さな鐘のような音・・・

岩に打ちつけている・・
でもペグやサバイバルナイフじゃない。
鉄製のハンマー?
いや、もっと薄い・・・スコップかな。

なんとか日が暮れる前に見つけてあげないと・・

◾️スコップを岩に打ち付ける音/「カン!」と1回鳴る(以降60秒おきに6回鳴る)

遊歩道から見て、上の方の斜面。
福地山(ふくじやま)の深い森の奥から音が響いてくる。

1メートル先も見えないような深い霧。
私は音のする方へ、急ぎ足で向かった。

と、霧の中から現れたのは、剥き出しになった石灰岩の岩盤。
音はこの岩に反響している。

そのまま歩くと、すぐに見えてきたのは、登山道の入口。
それは毎日のように歩いている道。
私は一気に坂を駆け上がった。

はあっ、はあっ。

◾️スコップを岩に打ち付ける音/「カン!」と1回鳴る(以降60秒おきに6回鳴る)

音が徐々に大きく、クリアになってくる。

テンポは・・少し不規則になってきたかな。
疲れてきているんだろう・・・
急ごう。

と、リズムが乱れ始める。

もう少しだ。がんばれ。

ん?
音が真横になった・・

あそこだ。
あの枯れ沢の斜面。

誤って足を踏み入れたか、滑り落ちたのかも。

私は、登山道から離れた斜面を駆け降りる。

音はどんどん近くなる。よし、そろそろいいだろう。

『おお〜い!聞こえるか〜!』

『こっちよ〜!』

間髪入れずに明るい声が帰ってくる。
女性?
私の頭の中には、自撮り棒を持つ山ガールの姿が浮かんでいた。

【シーン2:発見】

◾️SE:日が落ちかけた森のざわめき

『ありがとうございます』

ベンチほどの小さな岩。体を斜めにして腰掛ける女性。
この岩に・・打ちつけていたのは・・・
やっぱりスコップだ。

服装はちゃんとした山歩きスタイル。

実用的な防虫ネット付きの帽子。
首元に巻いているのは、パステルグリーンのタオル。
オリーブグリーンのレインウェア。たぶんゴアテックスかな。
泥除けの頑丈なスパッツ。
登山靴の先には湿った黒土がべっとりと付いている。

彼女がレインウェアを脱ぐと、中はチェック柄のトレッキングシャツ。
腕には緑色の腕章。(※福地温泉観光協会の腕章のこと)
リュックにはラミネート加工された許可証らしきものがぶら下がっている。

『本当に助かりました』

「驚いたなあ」

『え?どういうこと?』

「第一声を聞いたときは、もっと、こう・・・
ギャルっぽい人かと思って・・」

『なに、その表現?
そんな軽い感じに聞こえました?』

「いや、そうじゃないんだけど・・
声から、カラフルなウインドブレーカーを着た山ガール、ってのを想像しちゃったんです」

『それ褒め言葉ですか〜?
声、勉強して声優にでもなろうかしら』

「あ、ご、ごめんなさい!
そ、それより、大丈夫ですか?
お怪我とかはありませんか?」

『大丈夫。この格好ですから』

「どうして登山道からはずれちゃったんですか?」

『ごめんなさい。
トウキを探して奥へ入ってったら迷っちゃって』

「トウキ?」

『薬草です。
別名”婦人病の万能薬”』

ああ、そうか。だから・・・
さっきのは薬草採取の許可証か・・

『ほら。
嗅いでみて』

彼女はリュックから薬草を取り出し、私の顔に近づける。

『セロリに似て、爽やかで強い、独特の香りなの』

「ホントだ・・・
薬草のこと、詳しいんですね」

『はい。
朝日町で”よもぎ”って薬膳カフェをやってるんです。
よかったら一度いらっしゃいませんか』

「よもぎ・・」

『ええ。
あ、ちなみに私の名前もよもぎ、です』

「そうでしたか・・・
おっと・・・いかん!」

『どうしました?』

「ほら、日が沈んでしまう」

『ほんとだ・・・』

「急ぎましょう」

『はい』

少し申し訳なさそうな顔をして、彼女=よもぎは立ち上がった。
私は、LEDライトのスイッチを入れる。

夕陽が笠ヶ岳(かさがたけ)の向こうへ吸い込まれていく。
グラデーションは一段と濃くなり、シルエットの稜線が闇に浮かび上がっていた。

【シーン3:下山】※この状況ではビバークの方が圧倒的に危険なので夜道を2人で下山します

◾️SE:森の中を歩く足音〜夜の森のざわめき〜フクロウの鳴き声

『すみません、荷物まで持ってもらって』

「いえいえ、薬草なんて軽いから全然!」

『あの・・・ひとつ伺ってもいいですか?』

「はい」

「さっき、どうしてビバークしなかったんですか?
ああいうときって、ビバークするものだと思ってました』

「夜の山道を歩くのは危険だから、ですよね」

『ええ』

「実は今日みたいな状況のときは、留まる方が圧倒的にリスクが高いんです」

『そうなんですか?』

「はい。
最初のリスクは『低体温症』。
今日は雨でしたよね。
レインウェアを着てても内側は汗で濡れてる。
奥飛騨の夜はこの時期でもかなり冷えますから」

『なるほど』

「2つ目のリスクは『野生動物』。
このあたりはツキノワグマの生息地ですからね。
よもぎさんの持っている薬草の香りが
クマを引き寄せます」

『そっか〜』

「さっきの枯れ沢から登山口までは1時間ちょっとの距離。
ここは私が毎日歩いている、ホームグラウンドなんです。
心配しなくても、間違いなく無事に帰れますよ」

『わかりました』

「説教っぽいこといってすみません」

『とんでもない。
あ、もうひとついいですか?』

「どうぞどうぞ」

『まだ、お名前聞いてないなって・・』

「あ〜!そうでした!失礼しました!」

『ふふふ・・』

「シズルです!シズル。ごめんなさい」

『シズルさん・・・いいお名前』

「あ、ありがとうございます」

『奥飛騨温泉郷に住んでいるんですか?』

「はい、そうなんです。
ここ、福地に住んでます」

『福地温泉って確か、日本最古の化石が発見されたんでしたっけ?』

「よくご存知ですね」

「なに言ってんですか。
私だって高山市民ですよ。高山市朝日町』

「はは・・ですね。
私は子どもの頃から化石が大好きでして。
しかも古生代オタク。
こっちきてからコノドントが見たくて毎週のように名古屋へ通いました。
福地の化石館にも三葉虫とかウミユリたちがいるでしょ。
ここへ越してきたのも、古生代の生き物の近くにいたかったからかな」

『え?高山の方じゃないんですか?』

「生まれは東京です」

『東京!』

「丸の内で働くAI分析アナリストだったんです」

『なあに、それ?』

「AI搭載型SaaS(サース)を使った、売上や顧客データの分析。
平たく言うと企業の未来を予測する仕事です」

『ぜんぜん平たくない』

「はは・・ですよね。
要はそんな、説明してもわかってもらえないような仕事を辞めて、
ここへ移住したんです」

『へえ〜』

「地域おこし協力隊として」

『ああ。そうだったんですか』

「いまは信飛(しんぴ)トレイルを整備する活動に関わっています」

『信飛トレイル・・聞いたことあります!』

「北アルプスをまたいで、松本と高山を結ぶロングトレイルです。
登山道を整備したりガイドツアーをおこなったり、
いろんな活動をしてるんですよ」

『すごいなあ・・』

「私もトレイルをよく歩きます。
信飛トレイルは、奥飛騨温泉郷のど真ん中を通るルート。
昼間山を歩いて、夜は温泉で疲れを癒す、って
贅沢なロングトレイルだと思いませんか?」

『確かに』

「まあ、それも、あと少しですけど」

『どういうこと?』

「地域おこし協力隊の任期って3年なんです」

『え・・ってことは・・』

「はい・・今年で終わり。
東京へ戻るか、福地に留まるか・・」

『そんな・・』

「でも、最後の年によもぎさんに会えてよかった」

『延長とかできないの?』

「条件次第では」

『条件って?』

「農業とか伝統工芸とかの地場産業に従事していること。
3年後にその分野で起業していること。
自治体の許可があること。
これ全部クリアしないと無理なんだ」

『できるわよ』

「無理でしょ」

『だって、温泉も信飛トレイルも地場産業じゃない』

「いや、でも、起業はちょっと・・・」

『観光ガイドとか、インフォメーションセンターとかやれば?』

「そんな・・」

『さっき言ってたAIなんとか使ってやればいいでしょ』

「そりゃ、できないことないけど・・・」

『意気地なし』

「ええっ・・・」

『私も幼い頃に東京から朝日に引っ越してきたの。
でもすぐに思ったわ。
ここが好き。朝日が好き。高山が好き。
ずうっといたい、って。
あなたは違うんだ?』

私の目を見て話す、よもぎの瞳は潤んでいる。
答えられない私を見て、彼女は口をつぐんだ。

無言のまま、登山道を降りる。
枯れ沢を出てから約1時間。
私たちは車が置いてある化石館の駐車場へ。

運転席のドアに手をかけた彼女は、突然振り返った。
逃げ道を塞ぐようにして、私に小さな包みを渡す。

『あげるわ、これ』

「トウキ・・」

『どうして福地までトウキを摘みにきたかわかる?』

「え・・・」

『福地のトウキって特別な香りと成分なの。ここにしかない香りよ。
それに・・・』

さっきまでの強張った表情が少しだけ緩んだ。

『トウキを漢字で書くと、”当然”の当(とう)に、”帰る”。
漢方の世界では、”当(まさ)に帰るべし”って言うの。
本来あるべき場所に必ず帰ってくる、って意味』

「そうなんだ・・・」

『あなた、化石オタクなんじゃないの?』

あ、口角は上ってるけど、目は笑ってない。

『だから福地に移住したんでしょ。
3年くらいで逃げないでよ』

「別に逃げるわけじゃ・・」

『私とももう会えなくなっちゃうじゃない』

「え・・」

『あ・・』

「よもぎさん・・」

『あ、いや、そういうわけじゃなくて・・』

「わかったよ」

『え?』

「もう逃げない」
「『信飛トレイル公式ガイド』の資格を取る」
「頑張って任期延長を認めてもらうよ」

『わかれば・・・いいのよ』

「そのかわりお願いがあるんだ・・」

『なに・・?』

「このあと、温泉であったまってから帰りませんか。
奥飛騨まできて温泉入らずに帰るなんて・・ありえない」

『お、温泉・・?
え・・・そんな・・・恥ずかしいわ・・』

「な、なに言ってるんですか。
ひょっとして・・なにか誤解してません?
こ、こ、混浴じゃありませんよ」

『あっ、そ、そうですよね・・』

「冷えた体には福地温泉の湯がいちばん。
あがったあともしばらくはポカポカなんです。
別名”あったまり湯”」

『シズルさん、本当にここが大好きなんですね』

「え、いや・・あ、そうか・・・あれ?」

『ふふふ』

ー2人の笑いあってー

「よもぎさん、また会ってくれる?
今度は朝日町で」

『うん・・』

「薬膳コーヒーとか飲みたいな」

『薬膳ランチもね』

結局、私たちは夜遅くまで車の中で話し合った。
車の中には、トウキのいい香りが漂う。
彼女に言わせると、それは疲れているからだそうだ。
それでもトウキのおかげで、心はほぐれ、話は尽きなかった。

窓の外は満天の星。
降り注ぐ煌めきが2人を包みこんでいった。

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