#4「朝日の中で微笑んで」

東京での仕事と子育ての狭間で、限界を感じたひとりの母。
偶然手にした一枚の手紙と、一枚の写真に導かれ、彼女は娘とともに飛騨高山・朝日町へと旅立ちます。

たどり着いたのは、枝垂れ桜の咲く静かな山里。
心と身体をすり減らした都会の日々とは真逆の、ゆるやかであたたかな暮らし。

そして、声を出すことができなかった幼い娘が、初めて言葉を発したそのとき——
彼女の人生は、もう一度、優しく動き始めます。

本作は、飛騨高山を舞台にした地域発信プロジェクト『ヒダテン!Hit’s Me Up!』のボイスドラマ/小説シリーズの一編として、
母娘の再生と、薬膳という知恵の物語をお届けします。
(CV:蓬坂えりか)

【資料/高山市朝日町】

https://www.hidaasahi.jp

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[シーン1:「大廣古池前」バス停留所】

◾️SE:夕暮れのイメージ(巣へ帰る鳥の群れ)

どうしてこんなとこまで来てしまったんだろう・・・

寒い。

幼い娘は私の左足にぎゅっと抱きつく。

そっか。

私たち、普段着だ。

私は薄手のニットにスキニーデニム。

ジャケットも春用だから冷たい空気を遮断できない。

いわゆるバリキャリスタイル。

マザーズリュックだけ浮いてるわ。

娘も薄着のまま連れ出しちゃった。

ピンクのニット帽に小さなワンピース。

子供用リュックが震えている。

かわいそうなこと、したな。

また母親失格・・ってか。

私は、渋谷の広告会社で働くマーケター。

得意分野はSNSマーケティングとインフルエンサーマーケティング。

Z世代に向けた企画を毎日考えている。

ま、私もギリ、Zなんだけどね。

で、同時に子育て中。

仕事と子育ての両立。

・・・って、言うほど簡単じゃない。

時間と段取りとストレスと睡眠不足に押しつぶされそうになって、

いまココ。

午前中、会社を無断欠勤して、新幹線に飛び乗った。

小さな封筒をポッケに入れて。

それは、大学時代の友達からの手紙。

8年前。

友達は大学を辞めて実家へ戻っていった。

理由は、詳しく聞けなかった。

しばらく音沙汰なかったけど

昨日、8年ぶりに手紙をもらったんだ。

でもなんで、手紙?

メールとかでいいじゃない。

あ、だめだ。

プライベートのメールなんて、全然開いてもないわ。

それに、手紙じゃなかったら、私ここに来てないもの。

封筒の中には小さなメモ紙が1枚。

綺麗な殴り書きで

「いいところだから。遊びにこない?」

メモは、プリントアウトした写真にクリップ止めしてある。

ライトアップされた夜桜の写真。

枝垂れ桜かしら。

それが手前の水面(みなも)に映って、ゾクっとするほど神秘的。

写真の裏に住所が書いてあったからふらっと来てしまった。

高山市朝日町浅井。

まさか東京からこんなに遠いなんて。

寒そうにしてる娘に、私のジャケットをかけて抱っこする。

う〜、さむっ。

娘は今年で3歳。

でもまだ言葉を喋れない。

お医者さんは、多分精神的なものだろうって。

脳の発達にも異常は見られないから心配しないように。

あせらないこと。

・・・って言われてもねえ。

しかも、アレルギー疾患もあるし、よくお熱も出すし、心配がいっぱい。

母としていつも一緒にいてあげなきゃいけないのに。

ああ、マーケターって仕事のせい?

いや違う、やっぱり自分のせいだ。

今日もまた脳内で負のループが回り始める。

こんな私なのに、

傍目だと、呑気な親子旅行に見えるのかなあ。

◾️SE:バスが発車していく

午後5時45分。

バスは定刻通りに「大廣古池前」に到着した。

暮れなずむ時間帯。

それでも、客は私たちだけじゃない。

女子大生のグループかしら。

それも1組だけじゃない。

へえ〜、つまりこの桜、

彼女たちをつき動かすほどの”映えスポット”ってことね。

ネットで調べてわかったんだけど、

朝日町って、別名「枝垂れ桜の郷」って言われてるんだ。

町のあちこちに枝垂れ桜。

淡いピンクに包まれる農村の町・・・か。

私の生活とは真逆のイメージだわ。

私たちが目指したのは、「青屋地区/神明神社」。

神社の境内、鳥居を挟んで両側に枝垂れ桜が咲き誇る。

水を張った田んぼ。

目の前にはまるで湖のような水田が広がっている。

女子大生のあとをついてうつむきながら対岸へ。

みんな一斉にスマホのカメラを構える。

周りはほかにもすごい人。

こんな、田んぼの畦道に。

みんなの視線の先へ、ゆっくりと振り返る。

すると・・・

思わず息を飲んだ。

それは、この世のものとは思えない、幻想的な風景。

鏡のように水面に映る枝垂れ桜。

その下でライトアップの光に抗うような・・・

篝火?

静かに燃える炎が、桜の薄紅色と混じり合う。

なんて凄まじい。

・・としか表現のしようがない。

炎のゆらめきを見つめているうちに、目頭が熱くなっていく。
娘は、気持ちよさそうに、眠りの世界に入っている。

私は、心地よい心の開放感に満たされていった。

[シーン2:農泊施設「合歓木ふれあい住宅」】

◾️SE:朝のイメージ(小鳥のさえずり)

結局、その日は友達の家に泊めてもらった。

アポもとらずにいきなり訪ねてきた人間を笑顔で迎える。

これが、この町のライフスタイルなのか・・・

友達とは8年の時間を埋めるように、何時間も語り合った。

その間、娘は穏やかな笑顔で周りの景色を眺めている。

なんか、ここへ来てからまだ、アレルギーも出ていないみたい。

すっかり忘れていたけど、今年、いろんな友達に広く年賀状を出したんだ。

娘と私の写真年賀状。

年末にそんなん作ってるヒマなんてないからテンプレだけど。

去年までは出したり出さなかったりが続いてた。

だけど今年で年賀状仕舞いにするつもりだったから。

帰ってきたのは、数枚。

ま、こんなもんか。

で、その中に、この一風変わった返信のハガキがあったってこと。

ってか、季節変わっちゃってるし。

まさか、私がここまでくるって思わなかっただろうな。

え?

予測してた?

超能力者ですか?

私の写真?

いや、綺麗に撮れてるでしょ。

そんなには、盛ってないのよ。

じゃなくって・・・顔色?

別に悪くないでしょ。

表情?

鬱っぽい?

ウッソ〜!?

まあ・・確かに・・このとき・・・

1人になったすぐあとだったし・・

だから私をこの町へ呼んだって?

にしては、日にちたち過ぎ。

そうか、あなたもなにかと忙しかったのね。

この町?朝日町?

うん。まあまあね。気に入ったわ。

・・と、友達の前ではこう言ったけど。

一幅の絵のような枝垂れ桜を目にしてから、私の心は固まっていた。

とりあえず、会社と託児所に電話する。

無断欠勤と予約ブッチだからねえ。

なのに意外と誰も文句を言わず、私の体調を心配してくれた。

あれ?

みんな、そんな優しかったっけか?

ま、いいや。

それからがちょっと大事(おおごと)だった。

会社にしばらく出社できないことを伝えて、リモート対応を調整する。

ああ、なんだ、ほとんどの仕事、リモートでOKじゃん。

託児所にもしばらくいけないことを伝えて、この先の予定をキャンセル。

スタッフの皆さん、心配そうな声だったな。

で、私は、友達からすすめられたシェアハウスの利用手続きを済ませる。

農泊施設「合歓木ふれあい住宅」。

朝日町って、こんなことやってたんだ。

落ち着いたら渋谷のアパート引き払って、荷物も整理しなくっちゃ。

いわばワーケーションになるのかしら。

最近は何より、娘の調子がいいのが嬉しい。

山菜とか山の恵みが多いけど、全部ナチュラルフードだもん。

笑顔も見せてくれるようになったし。

ん?

今まで笑ったことなかったってこと?

そんなこと考える余裕すらなかったわ。

『ママ・・・』

え?

いま、なんて・・・

『おなか・・・すいた』

今まで生きてきて、こんなに嬉しかったことってなかった。

こんなに泣いたことも。

私は不思議そうな顔をする娘を、いつまでも抱きしめていた。

[シーン3:やさしい薬膳カフェ「よもぎ」】

◾️SE:カフェ店内のイメージ(ざわめき)

■SE:厨房で野菜を切る音、スープがコトコト煮える音、小鳥のさえずり

『ママ、よもぎうどん2つ!』

「オッケー!」

「ってか、ママじゃなくて、マスター、でしょ」

『は〜い!ごめんなさい、ママ』

「もう〜」

15年後。

エプロンをした娘が、はじけるような笑顔でオーダーを伝える。

やさしい薬膳カフェ『よもぎ』。

薬膳料理のお店をオープンしたのは10年前。

店名は娘・よもぎの名前から拝借した。

店の前、木製の黒板には、ランチメニューが書かれている。

今日の薬膳ランチ:「気の巡りを整えるお膳」

・黄耆(おうぎ)と奥美濃古地鶏のむね肉柔らか蒸し

・よもぎうどんとよもぎの炊き込みご飯

・デザート:一口よもぎ団子

私は、マーケティングの仕事をリモートで細々とこなしながら

薬膳カフェを切り盛りしている。

いまや、こっちが本業だけどね(笑

娘は、小さい頃から薬膳に親しみ、いまや私よりも詳しい。

薬膳の基本「五性(ごせい)」「五味(ごみ)」「帰経(きけい)」についても

熟知している。

『ママ、厨房かわって!』

長い髪をひとつにまとめて、よもぎが厨房に立つ。

エプロンのポケットには小さな薬膳ノート。

楽しそうに調理する。

今日は私、言うことがあるんだ。

「ねえ、よもぎ」

『ママ、厨房かわって!』

「あなた、卒業したら薬科大学に行きなさい」

『え?』

「だって、漢方薬剤師になりたいんでしょ」

『どうして・・』

「いつもネットでそればっか検索してるじゃない。

私、マーケターのプロなんだからね」

『あ、そっか・・・でも、うちにはそんなお金』

「なあに、言ってんだか。

マーケターの稼ぎを甘く見るんじゃないよ」

『ほんと・・?』

「それに、早く見たいじゃない。

・・・漢方薬剤師、朝日よもぎの誕生を!」

『それな』

「願書だしとくからね」

『ありがと!ママ!それに、パパ!』

そうそう。

言い忘れてたけど、私の横でお皿を洗ってるのがパパ。

15年前、私をここへ呼んだ大学時代の友達。

よもぎを見て、少しはにかみながら小さくうなづく。

よもぎは私たちの方を向いて、満面の笑みで答える。

『私、がんばる!

だって私は、朝日よもぎなんだから!』

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