『美織華(ヴィオリカ)』は、飛騨一之宮の「どぶろく」と、遥か遠くモルドバの「ヴィオリカワイン」をつなぐ、ひとりの女性・美織の小さな旅路を描いた物語です。
生まれ育った飛騨高山、そして血の中に流れる異国のルーツ。
伝統の酒造りと、家族への想い。
ふたつの文化、ふたつの絆が、香り高くひとつに重なっていきます。
この物語は、飛騨高山から世界へ発信する番組「Hit’s Me Up!」の公式サイトをはじめ、Spotify、Amazon、Appleなど各種Podcastプラットフォームでも視聴できます。
また、「小説家になろう」サイトでもテキスト版を読むことができます。
ぜひ、耳で、心で、美織とともに香り立つ旅をお楽しみください。
【ペルソナ】
・主人公:美織(22歳)=女子大生。ワインソムリエを目指している
・父(45歳)=飛騨一之宮町の氏子。若い頃に母と知り合う
・母(享年43歳)=モルドバの女性。留学生の時に父と知り合い美織を産むが2年後に帰国
・義母(45歳)=高山市街地の女性杜氏。10年前に美織の父と結婚
・祖母:ヴィオリカ(69歳)=モルドバの女性。モルドバのワインの名前と同じ
【資料/「どぶろく特区」飛騨一之宮のどぶろく】
http://hidamiya.com/product/product05https://youtu.be/WNWWZAJ7Ntg
【資料/飛騨高山・酒蔵ツアー】
https://www.hidatakayama.or.jp/plan/detail_4775.html
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ボイスドラマの台本
[シーン1:中部国際空港セントレアの到着ゲート〜名鉄電車のホームへ】
◾️SE:飛行機の着陸音/中部国際空港セントレアのガヤ
◾️SE:スマホの着信音
「もしもし・・・あ、お父さん」
「うん、いま着いたとこ。セントレア」
「大丈夫。フランクフルトからセントレア直行便があったから」
「モルドバから名古屋まで15時間よ」
「あ〜、早くどぶろく飲みたぁい!」
私は急いで、特急列車のホームへ向かう。
名古屋駅から高山本線に乗り継いで・・・
午前中に着いても、結局高山駅には夕方になっちゃう。
私の名前は、美織。
「美しさ」を「織りなす」・・と書く。
名前負け?
してないわよ。
特急列車ミュースカイが発車するまで、父と私は話し続けた。
「ママ?
うん・・・すごくキレイだった」
私がモルドバに行ったのは、ママのお葬式。
話せば長いけど、私を産んだママは、モルドバの女性。
私が生まれたとき、父は一之宮町の氏子。
ママはモルドバからの留学生だった。
父は無口な人だから多くを語らないけど、
残っていた写真とか、ママからの手紙とか見ると
2人はかなりラブラブだったみたい。
でも、私が物心つく前にママはモルドバに帰った。
そのときのモルドバは、親ロシア派大統領の就任で政情が不安定。
両親を心配したママは、私と父を残して帰国してしまった。
”ママが亡くなった”
って連絡を、ママのママ・・
つまりおばあちゃんからもらったとき。
父は顔色を変えずに、
「ママを、見送ってこい」
と私を送り出した。
結局ママが帰ってから20年以上経って、私はモルドバへ。
初めて会うおばあちゃんは、私を見るなり、抱きしめて大泣きした。
「Miori」「Miori」
と私の名前を繰り返す。
そのあとは何を言っているのかわからない。
飛行機の中、ガイドブックで少しは勉強したけど、
ルーマニア語なんて意味不明だもん。
翻訳アプリもあまり当てになんないけど、どうやら
「会いたかった」「愛してる」って言ってたみたい。
イエ、という質素な民族衣装を着て、何度も何度も抱きしめる。
そのあとも時間はそんなになかったけど、少しだけお話ができた。
もちろん、翻訳アプリを使って。
おばあちゃんの名前は”Viorica”(ヴィオリカ)
あれ?
それって、ワインの名前じゃなかったっけ?
香り高い白ブドウの品種。
飲んだことないけど。
アカシアやジャスミンのような白い花の香り・・
グレープフルーツのフレーバー・・
バラの花を彷彿とする風味・・
ピーチのような味わい・・
なんでそんなによく知ってるかって?
だって私、ワインのソムリエを目指してるんだ。
”Viorica”。
あら、そうなんだ。
モルドバではお酒だけじゃなくて、女の子の名前にもするのね。
可愛らしい女の子につけるんですって。
不謹慎だけど、口元がゆるむ。
タイムスリップして見てみたいな。
幼いおばあちゃんの、澄んだブラウンの瞳。
”Viorica”。
瞳を見つめながら名前の響きを反芻してたら
なんだか、不思議な気分になってくる。
なんだろう、この感覚・・・
おばあちゃん・・
[シーン2:名鉄名古屋駅】
◾️SE:名鉄名古屋駅のガヤ
おばあちゃんの余韻が、そよ風のように頭の中に流れる。
じっくり堪能することもなく、
ミュースカイはあっという間に名古屋へ着いてしまった。
ホームを出て階段を上り、高山本線の改札へ。
話は外(そ)れるけど。
私の住む一之宮町といえば「どぶろく特区」。
飛騨一宮水無神社の氏子総代がどぶろくを醸造する。
春分の日に仕込み、ふるまわれるのは、5月の例祭。
甘みがあってまろやかな濁酒は、もう絶品。
私なんて20歳になって最初に飲んだのは、
ビールでもウイスキーでもなくて”どぶろく”なんだもん。
それに・・・
10年前、父は再婚した。
私は血のつながったママの顔さえ覚えていなかったから
なんとも思わなかったけど、「母」は気にしてたみたい。
あ、「母」というのは父の再婚相手のことね。
なんとなく、「ママ」って感じじゃなかったから「母」って呼んでる。
だいぶんあとになって父が重い口を開いた。
父に母との再婚を勧めたのは、なんと・・・モルドバのママ。
私・美織のことを考えて、いい相手ができたら再婚しろって。
きっと父もすごく悩んだんだろうな・・
母は、高山市街地の酒蔵で働く杜氏。
で、父以上に無口な女性(笑
この2人がいったいどうやって知り合ったんだろう。
どうやって、関係を進めていったんだろう。
それを考えるだけで、笑っちゃう・・
ママの存在を心の奥から消したことはなかったけど、
私はおかあさんができて嬉しかった。
会話なんてなくても、近くにいるだけでよかった。
母は結構腕のいい杜氏らしい。
高山市内の酒蔵では珍しい、花酵母を使った純米大吟醸。
これは母のアイデアだ。
黙々とお酒を造る母。
一度父に連れられて、酒蔵へ行ったとき。
酒蔵で、蔵人(くらびと)たちに指示を送る姿、すごくかっこよかった。
私はなんのわだかまりもなく、素直に「おかあさん」と呼ぶ。
そう呼ばれると、母は小さく笑う。
この笑顔、私は好きだ。
[シーン3:特急ひだの車内】
◾️SE:特急ひだの車内案内放送
「あ、もしもし、おとうさん?」
「特急ひだ、乗ったよ」
「あーいいよいいよ、自力で一之宮もどるから」
「だってどぶろくの仕込みやってんでしょ、まだ」
「おかあさんは?」
「そっか、新酒の仕込みだって言ってたもんね」
「鈍行列車の時間まで、ちょっと市街地うろうろしてこよっかな」
「おけおけ。その代わり、帰ったらどぶろく、試飲させて(笑」
とは言ったものの、15時間のフライト疲れは残ってんだよなあ。
特急ひだのシートをスライドさせて、ゆっくり目を閉じる。
瞼の中に、ママ、お父さん、おかあさん、ヴィオリカおばあちゃんの顔が
走馬灯のように流れていった。
◾️SE:特急ひだの走行音〜車内案内放送
微睡(まどろみ)から覚めたとき、いつのまにか進行方向が変わっていた。
1時間ちょっと寝てたんだな。
これだけでもずいぶん楽になったわ。
う〜ん。
っと、夢の中で誰かになんか声をかけられたような・・
なんだったっけ?
”Viorica” ”te iubesc”(テ・イベスク)
ルーマニア語?
たしか、おばあちゃんが繰り返してた言葉だ。
”愛してる”
おばあちゃん、私もよ。愛してる。
やばい。目頭が熱くなる。
え?でも・・
なんとなく、おばあちゃんより声が若かったような・・・
ママ?
ふふ・・まさかね
ママの声は・・・覚えていない。
ああ、なんて薄情な娘。
高山へ着いたら、おかあさんの酒蔵へ寄ってみようかな。
モルドバへ発つ前、新酒の開発でかなり悩んでたみたいだったし。
コン詰めちゃう人だから。
私、一之宮のどぶろくも好きだけど、
おかあさんの造る吟醸酒って、ホントに大好きなんだ。
だからってわけじゃないけど、
「やっぱ花酵母でいいんじゃない?
おかあさんの仕込んだ花酵母、香りも味も最高だよ」
なんて偉そうに言っちゃったわ。
だって、本当にそう思うんだもん。
[シーン4:高山駅】
◾️SE:特急ひだの車内案内放送/高山到着
高山駅。
大きなスーツケースを引いて、ホームに降りる。
あーつかれた。
今日はエレベーターにしよっかなあ。
いつもはルーティンで、どんな重い荷物を持ってても、必ず階段。
でも、いいや。今日は特別。
エレベーターで改札まで上がる。
俯きがちにゆっくり歩いて改札を出ると、
『おかえり』
え?
おかあさん?
なんで?
杜氏が着る白い作務衣。
はにかんだような笑顔で私を出迎える。
母は黙って、スーツケースのキャリーハンドルを持つ。
「あ、ありがと」
駅前のロータリーに停めた車まで肩を並べて歩く。
その間、会話はない。うふふ。
母に促されて助手席に乗り込むと・・・
あ、いい匂い・・
これって・・・酵母の匂いだ。酒蔵の匂い。
フルーティな香り・・・日本酒・・
運転席に座った母は、和紙に包まれた瓶を私に手渡す。
『やっとできたのよ』
ずっしりと重い包みを開けると、それは仕込み立ての吟醸酒だった。
瓶のラベルには手書きでこう書かれている。
”美織華”
え・・・
『いい名前でしょ』
「ヴィオリカ・・・」
『あ・・・・・それ、いいかも』
ふたを開けると、漂ってくるのはより一層フルーティな香り。
いや、芳醇な香り。
これは・・・飛騨桃?
母はにっこり笑って首を横に振る。
今回はお米だけでこの風味を出したそうだ。
花酵母を使えば、香り深くて旨味のある吟醸酒ができるけど。
そこはこだわり?
それでも、目指したのはワインの風味。
日本酒とワインじゃ、材料も発酵の方法も製法も違うのに。
私が、ソムリエになりたい、って言ったから?
漂ってくる芳醇な香りは、まさにワイン。
「ひとくち飲んでいい?」
こくりとうなづく母。
ダッシュボードに入っている紙コップに少しだけ注ぐ。
甘い風味がじんわりと喉を潤す。
「美味しい!」
全然甘くないのに、甘い香りが一緒に口の中へ。
そうか、ワインじゃなくたって、上品な質感、優雅な佇まいは醸し出せるんだ。
母らしいな。
『これは、美織と私の絆』
え?どういうこと?
ワインが私で・・日本酒がおかあさん・・・?
だけど、日本酒だって、ワインのようになれる・・・
ああ。
そうよ。そうだわ。
血のつながりなんてなくても、おかあさんはおかあさんだもの!
「ねえ、おかあさん。
このお酒、モルドバのおばあちゃんに送ってもいい?」今まで見せたことのないような眩しい笑顔で母が微笑む。
深い緑色の瓶に、夕陽の赤が差し込んで
オレンジ色に輝いていた。