時は昭和34年――
岐阜県・荘川村は、御母衣(みぼろ)ダムの建設により、湖の底へと沈む運命にありました。
その村の一隅、光輪寺に佇む一本の老木「荘川桜(しょうかわざくら)」は、400年の命を生き、村を見守り続けてきた存在でした。
本作『櫻守が見た夢 〜儚い春の風〜』は、史実として語り継がれる荘川桜の奇跡の移植を背景に、
桜の精「さくら」と、ダム開発の責任者「リョウ」との、時を超えた恋を描いた幻想譚です。
朗読ボイスドラマとして、飛騨高山を舞台にした番組「Hit’s Me Up!」の公式サイトをはじめ、Spotify、Amazon Music、Apple Podcastなど、各種プラットフォームで配信中です。
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桜の花が風に舞うように、儚くも優しい記憶。
あなたの心にも、ほんのひとひら、届きますように
(CV:岩波あこ)
【資料/荘川桜の物語】
https://www.jpower.co.jp/sakura/story
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ボイスドラマの台本
[シーン1:1959年11月後半/光輪寺】
<さくらのモノローグとセリフで進行>
◾️SE:吹雪の音
「もうすぐお別れね。
400年っていう歳月は、長いようで、実はあっという間だったわ」
誰に聴かせるでもなく、
静かに囁いた声は、雪に吸い込まれるように消えていく。
早雪(そうせつ)。
11月に降る雪をこう呼ぶ人もいる。
はるか昔より、私はこの桜とともに、ここで暮らしてきた。
私は・・・
そうだな。
櫻守(さくらもり)、とでも言っておこうか。
ここは、荘川村の光輪寺(こうりんじ)。
寒風の中、江戸彼岸桜の老木は、眠るようにたたずんでいる。
老いてなお、春になると見事な花を咲かせるはずだった。
だが、それも来年で見納め。
いや、工事が早く進めば、春を待たずに、その命は絶たれることになる。
この村は、ダムの底に沈むのだ。
私は感謝の思いを胸に秘め、目を閉じた。
雪混じりの風が頬をかすめる。
冷たいはずのその感触が、どこか懐かしくて、優しいものに思えた。
1959年、私には最後の冬。
頬にあたった雪がゆっくり溶けていく。
まるで、桜色の涙を流しているようだった。
◾️SE:吹雪の音〜雪の中を歩く足音
どのくらい時間が経ったのか、よく覚えていない。
どこからか小さな視線を感じていた。
いつの間にか風は凪ぎ、しんしんと雪が降る。
静寂の中、微かな息遣いが伝わってきた。
振り向けば、スーツの上にネイビーの作業用ジャンパーを羽織った男性。
足元に積もった雪が、彼の迷いを映すように揺れている。
彼の顔は・・・知っている。
ダム開発の責任者だ。
名前は・・たしか・・リョウ。
そうか、確か今日、建設反対派の解散式だったんだな。
開発側の人間にしては、嬉しそうな顔には見えないが。
リョウは、私と視線が合うと、雪を踏みしめながらこちらへ歩いてくる。
私の方を見て、目を見開きながら、
”どうして、今まで気づかなかったんだろう”
と、つぶやいた。
なにを言ってるのかしら。
私、雪の日も、雨の日も、いつだってここにいたじゃない。
体に降り積もる雪をはらおうともせず、
彼は、私と老いた桜をずうっと見つめていた。
[シーン2:1960年2月/光輪寺】
私とリョウの逢瀬は、それから毎日のように続いた。
といっても、一方的に彼が逢いにくるのだけれど。
ま、私、出不精だからしょうがないわね。
遅い春が、小さな温もりを運んできても、彼は私の元へやってきた。
”君を、守りたい”
が、彼の口癖だ。
直接的な、愛の言葉。
何度言われても、醒めることはない。
愛おしそうに私を抱きしめるリョウ。
ああ、いつまでもこうしていたいけど。
彼はまっすぐな瞳で私を見つめ、ため息をつく。
そんな、悲しい顔をしないで。
いま、この瞬間(とき)を大切にして。
私たちは時間の許す限り、逢瀬を重ねていった。
[シーン3:1960年4月/光輪寺】
新しい年を迎え、住民はひとり、ふたりと村を出ていく。
町では桜が落下盛んとなり、眩しい新緑に生まれ変わる頃。
私にとって、一年でもっとも輝く季節がやってきた。
樹齢400年を越える巨木が、見事な花を咲かせる。
人々が太い幹の下に集まり、杯を酌み交わす。
去年より人の数は多い。
心なしか、今年はみんな、ときどき寂しそうな表情をする。
やだなあ。
花の命は短いのよ。
せめて、桜吹雪が舞う間は、心から楽しんでほしいわ。
私の頬もほんのり桜色に上気する。
早く彼に逢いたい。
でも、リョウがやってくるのは、村人がいなくなる夜遅く。
いいの。
私だって、2人きりで逢いたいんだもの。
人目を気にしながらやってくる彼は、いつもより強く私を抱きしめた。
”このまま時間が止まってしまえば”
そういえば、そんなアニメもいま流行ってるんじゃない。
だけど、目の前の現実を受け止めなきゃ。
季節が変わってこの桜が切り倒されたら、私もここからいなくなるわ。
”いかないでほしい”
そうね。私も同じ気持ちよ。
もうその気持ちだけで充分。
あなただって、ダムが完成すればこの村から出ていくんだし、
儚さや、もののあはれは、桜の象徴なんだから。
いつまでもいつまでも、夜が更けるまで、彼は私を抱きしめていた。
[シーン4:1961年4月/御母衣ダム】
”おかえり”
え?だれ?
私をよぶのは・・・だれ?
1961年4月。
完成した御母衣ダムが、壮大な姿をあらわした。
ダム湖のほとりには、ひっそりと佇む、2本の老木。
根も枝も幹も伐採されて、悲惨な姿を晒している。
その前で、1人の青年が私の名を呼ぶ。
私はゆっくりと目をあける。
リ・・リョウ・・・?
どうして?
ちょっと、やつれたんじゃない。
なのに、そんな嬉しそうな顔をして・・
リョウは口の端を少しゆがめて、ゆっくりと話し始めた。
”どんなことをしても君を救いたかった”
その一途な思いで、移植のために走り回ったのだという。
考えられるあらゆる手段を使って、
思いつくすべての名医に頼って、老木を移植したのだという。
そうだったんだ・・・
移植されたのは、かつてダムの底にあった2本の巨木。
枝ぶりも見事な光輪寺と照蓮寺の桜の木だ。
だが、移植された桜を見た村人は、その無惨な姿を見て顔をしかめた。
彼も不安な表情で私を見つめている。
ううん。大丈夫。
私は生きてる。
ほら、命の鼓動が聞こえるでしょ。
彼は瞳を潤ませて、いつものように私を抱いた。
[シーン5:1970年4月/御母衣ダム】
移植から10年後の1970年春。
2本の老木は満開の花を咲かせた。
リョウが亡くなったのを知ったのは、ずいぶんあとになってからだった。
「骨は、湖に撒いてほしい」
その願い通り、遺灰は静かにダムの水面へと撒かれた。
風に乗り、湖面へ流れていく。
そのとき――
荘川桜の枝から離れた花びらが、一枚、空を舞った。
彼の魂に寄り添うように。
人の一生は短い。
彼の記憶の中の、私との思い出。
それは、400年という長い時間の中で、瞬きするようなひとときだった。
「おかえりなさい、あなた。
これからはもう、ずう〜っと一緒よ」
桜は再び風に乗り、御母衣ダムの湖面へと散っていく。
私は、リョウの魂とともに、遥かなる春の夢を見続けるのだろう。