一瞬の出会いが、未来をつくる。
1986年と2026年をつなぐ、酒と記憶の物語。
酒蔵に漂う香り、受け継がれる技、そして想い。
母から娘へ、そして時を超えて紡がれる物語。
万葉の歌に詠まれた「たまゆら」――
それは一瞬でありながら、永遠に残る記憶。
飛騨高山の歴史とともに描く、切なくも温かなタイムリープの物語です・・・
【ペルソナ】
・依羅伽/瑛里菜(えりか=母:25歳/えりな=娘:25歳/CV:山﨑るい)=市街地で老舗の酒蔵の女性杜氏。1986年と2026年に母娘として同時に存在する。母娘2代とも新しいお酒を開発してきた。新酒は90周年に向けて発売予定。名前は「大吟醸たまゆら」
・静流(しずる/30歳/CV:日比野正裕)=上宝村在住。市制50周年の1986年に市街地へ
【プロローグ:万葉集】
◾️SE:万葉の詠み方で(少し節をつけて)
『玉響昨夕見物今朝可戀物』
たまゆらに きのふのゆふべ みしものを けふのあしたに こふべきものか
【シーン1:1986年11月/依羅伽(市制50周年の賑わい)】
◾️SE:町の賑わい(あちらこちらで「おめでとう!」の声)
『50周年、おめでとうございます!』
「ありがとうございます!
よろしければ、できたばかりの新酒、試飲してください」
『へえ〜、なんていう銘柄なんですか?』
「実はまだ決めてないんです。
仮にたとえるなら・・・”たまゆら”かな・・・」
『”たまゆら”・・・いい名前だ』
「あ、よかったら中でどうぞ」
『はい、じゃあ・・・お言葉に甘えて』
高山市全体が祝賀ムードに包まれた1986年11月。
高山市制50周年を祝うムードが町中に漂っていた。
私の名前は、依羅伽。
上三之町で・・というか、古い町並で・・・
ああ、どうしても言い慣れないなあ、”古い町並”・・・
保存地区の選定からもう何年も経つのに・・
そう、うちはその古い町並に300年以上続く酒蔵。
昔からのお客さんは『加賀屋』と呼ぶ。
私は、『女将』として切り盛りしている。
まだまだ女人禁制がはびこる世界。
うちの蔵でも少し前まで『仕込み部屋』に女性は入(はい)れなかった。
私が女将になってから、強引にルールを変えたんだ。
何十年ぶりかで世に出す新酒。
市制50周年に間に合うように仕込んできたけど、
私に言わせると、『完成』はまだちょっと先かな。
まずは、このめでたい景気の中で試飲していただくことにした。
最初のお客さんは、リュックを背負った青年。
DCブランドっぽいトレーナーに、ケミカルウォッシュのジーンズ。
地元の人・・じゃないかも・・・
『いただきます・・・』
店の奥で青年の声がする。
私は和らぎ水(やわらぎみず)を取りに水場へ。
戻ってみると、店内に青年の姿はなかった。
あら、もうお出かけ?
お水はいらないのかしら。
結構アルコール度数高いお酒だったんだけど。
町並の喧騒が木戸越しに聞こえてくる。
うちは角打ちをしていないから、
店の中は静まり返っていた。
【シーン2:2026年5月/瑛里菜】
◾️SE:店内にたくさんの外国人(雑踏)
「Have a nice trip in Hida!
またのお越しを、お待ちしとります!」
『セ・ボン(C’est bon)!』(合成音声)
おっと!
フランス語やったか!
ま、いいや。
私の名前は、瑛里菜。
古い町並に340年以上続く酒蔵で、杜氏として働く。
幼い頃から亡き母・依羅伽に付いて、蔵人(くらびと)として学んできた。
杜氏になったのは今年、25歳の誕生日。
それだけじゃない。
母が亡くなってからは『若女将』としても、店を切り盛りしている。
そうそう。だから毎日忙しいのよ。
さっきまで大賑わいだった試飲カウンターも片付けないと・・・
あれ?
まだ誰かいる?
目を瞑ってお酒を飲んで・・・って
ん?
あんなおっきな蛇の目猪口(じゃのめちょこ)、うちにあったか?
「あ〜、すっごく美味しい。
・・・あれ?」
「こんにちは・・」
「女将さん?
・・なんか・・・さっきと雰囲気変わりました?」
「え・・?
どういうことですか?」
「さっきまで割烹着、着てませんでした?」
「割烹着?
そんなもん、着ませんよ」
「なんで?だって・・・
あれ?なんかお店の中もナウいし・・」
「ナウい?」
「こんなカウンターとか、自動販売機なんてありましたっけ?」
「自動販売機?」
「ほら、そこの・・」
「試飲用のコイン投入口ですけど・・」
「なに・・?それ・・・」
「ちょっとすみません、その・・・
お猪口みせてもらえます?」
「あ・・はい・・・」
「この蛇の目猪口・・・
小さい頃に見たことあるような・・・」
「小さい頃・・・?」
「ちょ〜っと失礼・・」
「あ・・・
それ・・飲みかけですけど・・・」
この味・・・
まろやかなのに芳醇・・でも・・・
ガツンとくる辛口・・・
そしてこの香り・・・
記憶のどこかに残っているような・・・
「あの・・・」
「あ、ごめんなさい!
私ったらつい・・」
「いえ、全然いいんですけど・・・」
「よかったらもう一杯飲まれますか。
いまならまだ氷室の限定大吟醸がありますよ」
「ああ、結構です。
それより、もう行かなきゃ・・・」
そう言って、彼は逃げるように店を出ていった。
なんか、青い顔してたけど、大丈夫かしら・・・
私は手のひらの、蛇の目猪口をそっと見つめる。
分厚くて武骨な、でもどこか温かみのある古い猪口。
猪口を手にしたまま、仕込み蔵へ。
ひんやりとした静寂の中。
ここで私は新しい吟醸酒を仕込んでいる。というか開発中。
高山市制90周年に向けた、記念の大吟醸だ。
あと一歩。
何かが足りない。
美味しいけど、味が綺麗すぎるんだよなあ・・・
櫂(かい)入れをしながら、猪口を顔に近づける。
うっすらと残る芳醇な香り。
これって・・
亡き母が以前嗅がせてくれたあの香りに似ている・・
さっき一口飲んだときも、水の透明感みたいなキレを感じたし・・・
「・・まさかね」
呟きは、酒蔵の重厚な梁に吸い込まれていった。
【シーン3:2026年5月/酒蔵】
◾️SE:扉を強く開ける音
「すっ、すみませんっ!」
息を切らしてお店に駆け込んできたのはさっきの青年。
出ていってから、10分も経っていない。
「誰か、いませんか!」
私は、いそいそと仕込み蔵からお店へ。
「あ、あなたはさっきの・・」
「はい、この酒蔵の女将で杜氏。瑛里菜と申します。
どうかしましたか?」
「あの、町が・・ヘンなんです!」
「町が・・ヘン?」
「はい、だって・・・
さんまち通りが、外人さんでいっぱいになってて・・
すごい数だし・・・」
「ああ、外国人ね。
まあ・・・今日は週末だしね」
「みんな、テレビがついたトランシーバーを持ってる」
「トランシーバー・・・?
それって・・・・・スマホじゃない?」
「それにもっと・・もっと・・・大変なのは・・・」
「はあ・・」
「電柱も電線もなくなっちゃっている!」
「あ、そこ?
そういえば気づかなかったわ」
「しかも、秋なのになんかあったかい」
「秋じゃなくて春でしょ」
「なに言ってんですか。
いまは秋でしょ。11月。
市制50周年であんなに賑わってんじゃないですか?」
「5月だけど」
「え!?
ちょっと待って・・・
頭が混乱して思考が追いつかない」
「仕込み水、飲みますか?」
「あ、ありがとうございます」
彼は水を一気に飲み干すと、私の目の前に顔を近づけた。
「教えてください」
「あ、はい・・なんでしょう」
「今日は何年ですか?」
「え・・」
「昭和何年?」
「昭和?
いやいやいや、令和でしょ。
令和8年」
「令和ってなんですか?」
「なんですかって・・・
昭和、平成、令和の令和じゃない」
「え・・・」
(※2人同時に)
「頭痛くなってきた」「頭痛くなってきた」
「ひょっとしてだけど・・・
まさかとは思うけど・・・
あなた、タイムトラベルしてきたとか言わないよね?」
「ははは・・そんなばかな・・
だったら君は未来人?
ここはバック・トゥ・ザ・フューチャーの世界ですか」
「じゃあ今年は何年なの?」
「1986年。昭和61年」
いや〜。
アニメの世界じゃ、異世界と時間軸の話が溢れてるけど・・・
大丈夫か、この人・・・
ってか、まさかホントにタイムトラベラーなのか・・・
「ここって高山市ですよね?」
「そうよ。
あなた、一体どこの世界線から来たの?名前は?」
「ぼ、僕の名前は、静流と言います。
家は吉城郡上宝村(よしきぐん かみたからむら)。
高山市の市制50周年のイベントを見にきたんです」
「吉城郡?なにそれ?」
「なんで?高山にいるのに知らないんですか?
吉城郡は古川町(ちょう)・神岡町(ちょう)・河合村(かわいむら)・宮川村(みやがわむら)、
それに国府町(ちょう)・上宝村(かみたからむら)じゃないですか」
「あ〜。それたぶん合併前ね。
いまは、国府も上宝も高山市よ」
「うそ」
「なんで嘘つく必要があるの?
高山市は東京都と同じくらい広いのよ。
香川県や大阪府より広いんだから」
「そんなばかな・・・」
「だめだ・・こっちも頭が追いつかない・・・
ねえちょっと、外でようか」
「は、はい」
結局、私はこの青年と、高山市街地を歩くことにした。
1986年、40年前の世界線からきた、という静流。
ああ、自分の頭も整理したい。
ただでさえ、新酒の仕込みで行き詰まっているのに。
【シーン4:2026年5月/古い町並】
◾️SE:古い町並のざわめき(外国人の声がまざる)
「ほら、ほらっ!
なんでこんなに外人さんばっかり・・・」
「外国人、と言いなさい」
「日本人の方が少ないじゃないか」
「まあ、円安だから、かなあ」
「誰も地図を見てないし、ガイドさんもいない」
「スマホがあるからね・・・
って、ホントにあなた、タイムトラベラー?」
「そんなことわかんないよ。
あ・・・なんだ?あれ・・
ヘンな色のさるぼぼがいる」
「開運さるぼぼね。色によって運気が違うのよ」
「いや、さるぼぼは赤でしょ」
「私は緑のさるぼぼが好き」
「なんで?」
「緑色のさるぼぼはね、『健康と平穏』のお守りなのよ。
それより、ねえ、駅へ行ってみましょうか」
「高山駅?
そうだ、家に帰らないと」
「そのあとスタバでもいってお茶する?」
「スタバ?なにそれ?
スターウォーズの新作?」
「カフェだよ。しらないんだ・・・」
「カフェバー?昼間から?」
「う〜ん・・・なんて説明すればいいんだろう。
喫茶店・・・じゃないよなあ」
頭を悩ませながら歩いていると、いつの間にか高山駅が見えてきた。
花里通り(はなざとどおり)の赤信号。
静流は、固まっている。
「なんじゃ、こりゃあ!?」
「って、高山駅じゃん。
みりゃわかるでしょ」
「まるで、新幹線の駅みたいだ。
信じられない・・・
本当にここは2026年なんだ・・・」
私たちは、『匠通り』を渡って駅の西側へ。
静流は、回廊になった美しい跨線橋にも目を見張る。
「踏切渡んなくていいんだ」
スタバへ行っても、すべてが驚きの連続だったらしい。
「コーヒー代は、僕が払うから」
「モバイルオーダーだから大丈夫よ。
そのまま決済するし」
「なにを言っているのかわかんない」
ラテを飲みながら、私たちはやっと落ち着いた。
だが、問題は何も解決していない。
どうして静流が、1986年から2026年にタイムスリップしてしまったのか。
鍵はあのお酒。
静流が最初私の顔を見て間違えたのは・・・
かあさん。1986年ならいまの私と同じ・・25歳。
間違いない。
かあさんが仕込んだあの新酒を飲んで世界線を越えたんだ。
それしか考えられない。
【シーン5:2026年5月/アッサンブラージュ(調合)】
◾️SE:仕込み蔵の音
その夜、誰もいなくなった酒蔵。
横には不安そうな顔の静流。
彼は上宝には帰らず、ここに残った。
スタバで話し合った答えは・・・
静流を元の世界へ必ず帰す。
きっと、幻の新酒『たまゆら』をもう一度口にすれば・・・
そう確信して。
いや、簡単じゃないことはわかっている。
今までさんざん苦労してきたんだ。
新酒を一晩で作ることなんて、できはしない。
私が考えたのは、『アッサンブラージュ』。
平たく言えば『調合』。
蔵に眠っている複数の原酒と、11月に向けて開発中の新酒。
そして、蛇の目猪口の残り香。
それらを混ぜ合わせて、『たまゆら』を再現する。
静流はテイスティング係。
私は、洗わずにしまっておいた蛇の目猪口を取り出す。
残り香を、少しずつ指先につけて、匂いを嗅ぎ、口に入れる。
明け方までかかって、ほぼ近いものはできあがった。
だが、猪口に残る辛味(からみ)のキレとコクがどうしても再現できない。
それを解決したのは、蔵の奥で眠っていた超長期熟成古酒。
母・依羅伽が1986年に仕込んだ『失敗作』だった。
古酒を数滴調合して、静流に飲ませる。
「この味だ。間違いない」
結局、朝までかかって完成したのは
味と香りだけはまったく同じ『たまゆら』。
母が愛用していた升に注いで静流に渡す。
「じゃあ・・・」
「うん、うまく戻れるといいけど」
「・・・いただきます」
「あ、待って」
「なに?」
「せっかくだから2026年のお土産、持っていって」
「お土産って?」
「いいから。1986年にあけて」
「わかったよ。
瑛里菜さん、ありがとう」
私を見つめたまま、静流は升酒を一気に飲み干した。
「あれ?
何もおこらない・・・
だめだ・・・」
そう言いながら、静流の姿は蒸気のように消えていく。
「瑛里菜さん、失敗だよ・・・これじゃ・・・」
「かあさんによろしく」
「あ・・ああ!・・・ありがとう・・・」
ひとりになった酒蔵で、私は升酒と蛇目猪口を握りしめていた。
さあ、ここからが本番よ。
『調合した味』を再現するんじゃなくて、
『最初からこの味になるように』仕込みを設計しなくちゃ。
母がたどり着けなかった新しい大吟醸に私は挑戦する。
【シーン5:2026年11月/新酒「たまゆら」】
◾️SE:鏡開きの音「せ〜の、よいしょ!」〜拍手
2026年11月。
高山市制90周年の記念式典。
市長をはじめ、法被を着た関係者が木槌で酒樽を割る。
菰(こも)を巻いた樽。
私は紺の作務衣に家紋入りの法被姿。
竹杓(たけじゃく)から枡(ます)に汲んだ新酒を、自ら振る舞う。
「おめでとう」
笑顔で私の肩を優しく叩くのは、母・依羅伽。
今年で65になる。
その横に寄り添うのは、父・静流。
そういえば、もうすぐ40年目の結婚記念日じゃなかったっけ。
母の帯から下がっているのは、緑色のさるぼぼ。
40年前に父からプロポーズされたとき、プレゼントされたんだって。
なんだかおかしいでしょ。
樽の表(おもて)に書かれた、『大吟醸たまゆら』の文字。
それは春から母と一緒に仕込んだ新酒。
どうやって仕込んだのか、記憶が少し曖昧なのよね。
でも、これからは冬季限定酒として主力銘柄のひとつになる。
酒蔵の軒先には、まだ青々とした姿の杉玉が掲げられていた。


