命を懸けて少女たちを守った、ある“ばさま”の物語。
吹雪の夜、命からがら辿り着いた工女たち。
山賊に追われ、給金も誇りも奪われそうになったとき、小さな峠の小屋で彼女たちを救ったのは「鬼婆」と呼ばれる年老いた女性だった。
男衆には容赦なく、少女たちには母のような優しさを。
鋭くも温かなまなざしで、すべてを背負った“ばさま”の姿に、胸が熱くなります。
明治の日本を影で支えた工女たちと、名もなき守り人——
どうぞ心してお聴きください。
【ペルソナ】
・鬼婆(年齢不詳70歳)=野麦峠お助け小屋の主、男衆には厳しく工女に優しい(CV=山﨑るい)
・政井辰次郎(22歳)=飛騨の河合村出身。河合村政井みねの兄(CV=日比野正裕)
・政井みね(14歳-20歳)=かつて野麦峠を越えた工女のひとり(CV=山﨑るい)
・山賊(30-40代)=野麦峠を根城とする山賊・追い剥ぎ(CV=日比野正裕)
【原作:山本茂美「あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史」(角川文庫)】※32頁〜
<シーン1:1903年・冬の晩1>
※シーンはすべて野麦峠のお助け小屋/ソマ衆=野麦の原始林で働く屈強な木挽きたち
◾️SE/吹雪の音〜木戸を激しく叩く音/外から響く山賊の声
「おおい!開けろ!鬼婆さ!いるこたぁわかってる!
開けねえと、ぶち破るぞ!」
◾️SE/関を引いて木戸を開ける音
「るっさいな、いま何時やと思うとる」
「おい!ばばあ!小屋に工女が逃げ込んだろう。
今すぐここへ連れてこい!」
「はあ?
そんなもんはおらん!帰れ!」
「嘘こいたらただじゃすまんぞ。
中をあらためさせてもらうからな!」
◾️SE/奥の方で物音「ガタン」
「なんだぁ〜、いまの音はぁ?」
「ふん。知りたいか。下衆どもが」
「なんだと?」
「おおい!ソマ衆やぁ!降りてこいやぁ!」
「なっ、なに!?」
「ソマ衆や!夜食の握り飯できとるで!」
「ソマ衆だとぉ!?」
「20(ニジュー)しか間に合わなんだで、1人2個じゃ!
文句はこいつらに言うとくれや!」
「くそっ、お、覚えてろよ!
また来るからな!」
「二度と来るな!」
◾️SE/木戸を強く閉め、関をかける音
「ばさま・・」
「しいっ!」
「ひっ・・」※エキストラ/固唾を飲む
「・・・うん、よしよし。もういいだろう。
おまえら、大丈夫やったか?」
「はい、ありがとうございます。
でも・・」
「なんだ?どうした?」
「給金が・・」
「なに!?」
「キカヤからもろうた一年分の給金・・
わしら、トトマ、カカマの喜ぶ顔を思うて
雪の峠越えてきたのに・・
山賊たちにとられてしもうて・・
もう会わす顔がねえ・・」
「いくらだ?」
「わしが九十五円五十銭、
フデが七十二円十五銭
イクが十七円六十九銭、
トモが七円四十銭じゃ」※エキストラ/すすり泣き
「そうか、わかった」
「わかった、ってばさま・・・」
わしはそう言って、板張りの床を開けて、脇差を取り出す。
「ばさま!?」
「相手は2人やな」
「はい」
「ちょこっとだけ待っとけ。
鍵をしっかりかけて、誰が来たって死んでも開けるでねえぞ」
「そんな・・・」
「心配せんでええ。
わしを誰やと思うとる。
野麦峠お助け小屋の鬼婆さやぞ!
2人ばかしの下衆どもにはやられはせん」
「ばさま!!」※エキストラ/驚いて「ばさま!」
工女たちの声を背中で受けて、わしは吹雪の中へ出掛けていく。
ときは1902年。
そう、あれは1時間ほど前のこと。
暮れも押し迫った吹雪の夜。
工女たちが泣きながらお助け小屋に駆け込んできた。
検番もつけず、身ひとつで実家に帰っていく工女たち。
懐には、必死で働いた一年分の給金袋。
工女の多くは貧しい百姓の出である。
年の瀬に家に帰って給金を渡せば、
父や母は『これで年が越せる』と泣いて喜ぶ。
その金を狙って山賊たちが集まってくる。
ただでさえ、命を落とす工女が絶えぬ野麦峠。
無垢な少女を狙う外道どもを
わしはどうしても許せなかった。
<シーン2:1903年・冬の晩2>
◾️SE/囲炉裏の音〜
「遅なったの。すまんすまん」
「ばさま!」※エキストラ/心配からの嬉しみ「ばさま!」
「さあさ、甘酒飲んであったまりぃや」
「ありがとうございます!これ・・わしらの給金まで・・」
※エキストラ/「ありがとうございます」
「ああ、ああ。
わしゃ、算術が苦手だでな。
五百円もあれば、釣りがくるじゃろう」
「山賊たちは・・・?」
「ちょっとばかし、こらしめてやったわ。
まあ、話のわかる連中でよかった。
余った金は工女たちに渡してくれろと。
もう二度と姿を見せることはないで、安心しな」
「本当に、本当にありがというございます!」※エキストラ/「ありがとうございます!」
わしは、三和土に敷いたむしろに目をやる。
むしろの下。
大量に血糊がついた脇差を洗わんと。
水を汲もうと立ち上がったとき、
工女のひとりが声をかけてきた。
「ばさま」
「なんや、みね」
「え?わしの名前、覚えとるんですか?」
「あたりまえじゃ。
わしゃ、一度聞いたものは忘れん」
「ありがとうございます。
ほんで、余った金やけど」
「なんや?」
「国府のねさまの家に持ってってやりてえ」
「ねさまやと?どこにおる?」
「川浦の宿を出て、奈川の境石のとこまできたとき」
「うん」
「急に吹雪いてきて。
ほんとき、ねさま、わしらをかばって谷底に落ちんしゃった」
「なんやて?」
「道中ずうっと
『誰かが落ちても絶対助けにいっちゃあかん』
言うとった。最後もそう言って落ちんしゃった」
「ほうか・・・ねさまもおらんで、
おまいらだけで峠越えたかと思ってたが・・」
「さっきも言うたけど、わしゃ百円も給金もろうとる。
こんだけありゃ家の普請だって余裕じゃ。
欲を出したらきりがねえ」
百円工女、政井みね。
とてもシンコとは思えん。
しっかりして、賢い娘やわ。
「みんなもそう言うとるで」※エキストラ/「ああ」「そうだ」「ねさま」
「よし、わかった。
なあみね、お前を見とるとわしの若い頃を思い出すわ」
「ばさまの?」
「おう。
わしはな、40年前に富岡から流れてきたんじゃ」
「富岡?」
「上州にある製糸工場(こうば)の町じゃ」
「ほんじゃ、ばさまも糸ひきだったのけ?」
「選良工女やよ」
「なんやそれ?」
「富岡は模範伝習工場でな。工女はみんなから敬まわれとった。
わしもそのひとりや」
「へえ〜」
「ほんで、旦那と娘を連れて養蚕の講師として岡谷へきたんじゃ」
「旦那さんと娘さんは?」
「もうこの世にはおらん」
「ほうかあ・・・」
「さ、もうええか。甘酒飲んだら、床(とこ)に入りな。
明日も早いんだろう」
「ああ、3時には出るで。はよトトマとカカマに会いてえ」※エキストラ/「トトマ!カカマ!」
それからみねは毎年、お助け小屋に立ち寄った。
岡谷へ向かう2月の終わりと、故郷(くに)に帰る年の瀬。
みねの持って生まれた明るさで、雪の舞う夜も暖かく感じたものだ。
6年後の1909年。
2月にみねを送り出したその年の秋。
ひとりの若者がお助け小屋に立ち寄った。
<シーン3:1909年11月/辰次郎の峠越え1>
◾️SE/高原の鳥の音〜
「こんにちは!」
「はいはい、誰やったかな」
「政井辰次郎と申します」
「政井・・・」
「みねがいつもお世話になっとります」
「おお。みねの・・?」
「兄です」
「こんな秋に珍しい客人やわ。
わらび餅でも食ってくか?」
「いえ、先を急ぐので」
「諏訪へいくんか?」
「はい、みねを迎えに」
「どうした?」
「これが・・・」
辰次郎が見せてくれたのは、一枚の電報。
『ミネ ビヨウキ スグ ヒキトレ』
目に涙をためながら
怒りとも悲しみともとれる表情をわしに向けていた。
「昨日・・・家に・・届きました・・」
「ほうか、ほうだったか」
「ばさまのことはいっつもみねから聞いております。
命の恩人だと」
「たわけ。そんなええもんなわけあるか」
「いえ。どんなに急ぐとも、ばさまにだけは礼を失してはならんと」
「わかった。わかったで、はよ行け」
「ありがとうございました・・・」
「辰次郎」
「はい・・・」
「みねみたいに頭のいい娘が、そんな簡単にくたばりゃせん。
だから途中、無理すんじゃねえぞ。
おめえが道中でどうかなったら共倒れだ」
「わかりました・・・」
辰次郎は深く頭を下げて、出ていこうとする。
「では・・・」
「ああ、待て」
「はい」
「持ってけ。ウチワ餅じゃ。
あ、いい。金はいらん。
どうせ、知らせを聞いてから、飲まず食わずでここまで来たんやろ。
途中で倒れる前にこれを食えよ」
「あ、ありがとうございます・・・」
「岡谷へ着いたらな、駅前の旅館飛騨(本当は飛騨屋旅館)へ先に行け。
主人の中村(本当は中谷)に背板(せいた)をもろうてこい。
このばばの名前を言うたら、すぐ用意してくれるわい」
「わかりました」
「引き止めて悪かったな。さあ、いけ」
「行ってきます!」
あっという間に辰次郎の姿は見えなくなった。
みねの故郷(くに)は河合の角川(つのかわ)やと言うとった。
昨日角川を出て、もう野麦峠やと?
高山からでも六里はあるぞ。
あいつ。
こうやって少しも休まずに歩いてきたんやな。
みね。
おめえはいい兄さを持ったな。
<シーン4:1909年11月/辰次郎の峠越え2>
◾️SE/高原の鳥の音〜
「奈川渡。黒川渡。寄合渡。川浦。
ようがんばったな、みね。
お助け小屋はもうすぐやから」
「ごほごほごほ・・」※咳き込むみね
「大丈夫か」
「ああ、心配ねえ」
「さんざんこきつかった挙句
病気になったらぞうきんみてえに・・」
「あにさ。
わしらのキカヤを悪う言わんといてくれ」
「・・・ああ」
「工女はみんな、故郷(くに)じゃままもろくに食えねえ。
だけど、キカヤじゃ毎日あったかいまんまが出る。
稼いだ金を家に持って帰ったとき。
カカマもトトマも頭下げて泣いたやねえか」
「う・・・ちくしょう・・」
「道中の宿代もめし代も全部キカヤがだしてくれたんやさ。
こんなにようしてもらって・・
文句言うたらバチがあたる」
「わかった・・・わかったから、もうしゃべらんでええ」
「ああ・・すまんのう、兄さ」
「水くせえこと言うな。ほらもう野麦だ」
「ばさま・・・」
「ああ。ばさまだ。よう見えたな。
野麦の秋は冷えるに。
入り口でずうっと立っとらっしゃる」
「ばさま・・」
◾️SE/高原の鳥の音〜お助け小屋へたどり着くみねと政次郎
「よう帰ってきたの、みね」
「ばさま・・ただいま」
「ああ。 寒いで、はよ中はいり。
ソバがゆと甘酒。
ここに置いたるで」
「ありがとう・・ございます」
「みねの大好物やったからの」
「あにさ・・」
「どうした?」
「ああ・・あそこ・・飛騨が・・飛騨が見える」
◾️SE/ソバがゆの茶碗を落とす音
「みね、どうした、しっかりしろ!!みね!」
みねが最後に見たのは、雄大に広がる乗鞍岳。
尾根の向こうには角川の集落だ。
魂が抜けたように一歩も動けない辰次郎。
わしは、みねの顔に白粉を塗り、紅をひいてやる。
もともと美しい顔立ちが、より艶やかになった。
その姿を見て、辰次郎は声を上げて嗚咽する。
わしは心を鬼にして告げる。
「おい、辰次郎。
みねを故郷へ連れてってやるんじゃないのか。
ちゃんと角川で、みんなで見守って弔ってやれ」
諏訪へ向かったときよりも、何倍もゆっくりと
辰次郎は歩いて立ち去っていった。
ときどき後ろを振り返り、
背中のみねに話しかけながら・・・
明治時代。
日本はアジアの列強より兵力の面ではるかに劣っていた。
その日本を豊かな国にしたのは、決して偉人などではない。
養蚕の工場で毎日系を紡いだ諏訪や飛騨の工女たち。
日本が、外貨を稼いで軍艦や戦闘機を買えたのは
ほかでもない、彼女たちのおかげである。
そして、その影に、工女たちを支えた老婆がいたことも
忘れてはならない。
<シーン5:19××年12月/工女たちの里帰り>
◾️SE/吹雪の音〜
「ばさま!助けて!」
「しんぺえするな。
山賊のひとりやふたり、この鬼婆さが・・」
「5人くらいいます!」
「5人?
そうか、問題ねえ。
また、ソマ衆に助けてもらうからな!
ソマ衆や、頼んだぞ!」
「おお〜!」※エキストラ「おう〜!まかせとき!」
「なんだぁ!?こら!逃げるな!下衆ども!
野麦の鬼婆さにおじけづいたかぁ!!」
◾️SE/吹雪の音〜
※基本的な物語は事実に基づくフィクションです。