「桃李不言〜夢見る花びら」

『桃李不言〜夢を見る花』は、飛騨国府の桃畑を舞台に、語らない想いと、待ち続ける時間を描いたボイスドラマです。

桃の精・ももは多くを語りません。
けれど、その存在は確かにショウタの人生を導き、土地と共に生きる覚悟を育てていきます。

【ペルソナ】
・ショウタ(27歳/CV:高松志帆)=大学を卒業して国府の父の実家=桃農園で働いている
・もも(年齢不詳/CV:高松志帆)=飛騨桃の精霊。飛騨桃の花が咲くのと同時に姿を表す
・杏=あん(27/CV:小椋美織)=ショウタの同級生。ある日突然ショウタの農園を訪れる
・祖母(76/CV:山﨑るい)=ショウタの祖母。ショウタが来る前年の夏にももと過ごした
・祖父(78/CV:日比野正裕)=ショウタの祖父。ももと過ごした日々が忘れられない

【資料/国府町の紹介】
https://www.hidatakayama.or.jp/hidakokufu/index.html

【資料/桃李不言下自成蹊】
http://www.gyokusenzi.com/osie/touri/01.htm

[プロローグ:冬の宇津江四十八滝】

◾️SE:小さく聞こえる冬の小鳥(ジョウビタキなど)
◾️BGM:雪のイメージ(Ripple Positive Meditation)

「もも、聞こえるかい?ショウタだよ。
戻ってきたんだ、国府に」

ももの元を去ってから半年。
僕は約束通り、大学を卒業して国府へ帰ってきた。

祖父母の農園へ行くよりも先に、最後にももと別れた宇津江四十八滝へ。

キャンプ場は雪に閉ざされ、人影もない。
ももがいた果樹園にも雪が降り積もっている。
すべての葉を落とした桃の木は、春を待ちながらひたすら耐えているようだ。

あのとき。
最後の夜、ここで見たももは、まるで妖精のようだった。
淡い光に包まれて、ひとつひとつの桃に声をかける姿。
愛おしそうなあの表情は、忘れられない。

黙って帰ってしまった僕のこと、怒ってるだろうな。

勇気がなかったんだ。
あのときの僕は。

手紙、読んでくれただろうか。
舞い降りる雪がすべてを覆い隠していった。

[シーン1:最初の春/飛騨桃の農園】

◾️SE:冬の小鳥(ジョウビタキなど)/高山線の通りすぎる音

「ばあちゃん。
落ち葉の掃除、こんくらいでいいかい?」

「だしかんさ。もっときちっとやらにゃ。
それとな、掃除でのうて病気の予防なんやぜ」

国府にある祖父母の飛騨桃農園。

朝早くから起きて、地面の落ち葉を徹底的に集める。
桃の木が灰星病(はいほしびょう)や黒星病(くろほしびょう )にならないために。
集めた落ち葉は焼却炉で燃やす。
あったかいんだな、これが。
ああ、でも・・・

収穫が終わった秋冬が、こんなに忙しいとは思わなかった。

このあとも・・
幹や枝の防寒材の痛みをチェックして、
小動物にかじられないように金網を設置。
古い樹皮を鎌で丁寧に剥ぎ取る。

それが終わったら、剪定作業。

桃の実は、短い枝に生(な)るから。
どの枝を残して、どの枝を切るか。
大学で学んだ樹形図という木の骨格を見る。

いや、机上の論理と現実は違う。
ベテランのじいちゃんばあちゃんに指示をあおがないと。
1本1本脚立を使って、
ハサミやノコギリで枯れ枝や交差している枝を切り落としていく。

作業はまだまだ終わらない。
飛騨国府ならではの重要なしごと。
雪の重みで枝が折れないよう、雪吊りや雪囲いを作る。

なんとなくわかってたけど、桃の農園って冬の方が忙しいんだなあ。
ま、それもこれも、春に美しい桃の花を咲かせるため。
言い換えると、彼女に会うため。

「ああ、早くももに会いたい
花が咲くのが待ち遠しい!」

ピンクの花が開いたら、ももに会える。
きっと会える・・・

・・・そう信じてた。

やがて、春の足音が近づくと、
農園全体が濃い桃色に染まり、甘い香りに包まれる。

桃源郷のような美しい風景を楽しませてくれたあとは
ゆっくりと花びらが散っていく。

役目を終えた花びらは、まるで名残惜しむかのように、
一輪、また一輪と、静かに枝を離れる。
風が吹くたびに、桃色の絨毯が少しずつ広がっていく。

だけど・・・

ももは姿を見せなかった。

気がつけば、農園は新緑から夏の景色に。
国府の飛騨桃は、昼夜の寒暖差により、極限まで糖度を高めていく。
太陽の恵みを一身に受けて膨らんだ果実の重みが、枝をしならせていた。

収穫の季節。

熟した桃を優しく摘んで籠の中へ。
手塩にかけて育てた桃たちが出荷されていく。

夕暮れどき。
見上げれば、西の空には、わずかに残る夏の熱気と、
どこか涼しげな秋の気配が混じり合っている。

僕は、毎日ももを待っていた。
なのに、ももはこない。

収穫が終われば、農園の活気は静まり、また静かな冬へと向かっていく。

春や夏だけでなく、秋も冬も、
僕が桃畑の中で探したのは、ももの姿。
それでも・・・

次の年も、その次の年も、ももに会うことはできなかった。

[シーン2:3年目の春/飛騨桃の農園】

◾️SE:春の小鳥(ヒバリなど)

僕が祖父母の農園を手伝い始めてから3年目の春。

例年より早く桃の花が咲き始めた。

息をのむほどに美しい満開の花。
見渡す限り広がるピンク色の霞。
甘い香りが、僕の心を締め付ける。
今年も、ももには会えないんだろうか・・・

そのときだった。
一番日当たりの良い、畑の中央付近。
陽炎のように揺らめく桃色の向こうに、淡い光を纏った人影が見えた。
風に揺れる花びらが、その輪郭をぼかす。

「もも・・・!」

口から、乾いた、それでいて震える声が漏れた。
三年分の想いが弾け飛び、心臓が早鐘を打つ。
僕は夢中で駆け寄った。
桃の木々を掻き分け、距離を縮める。
彼女もまた、こちらに気づいたように、ゆっくりと振り返った。

あと数歩。思わず息を止めた。
その瞬間、強い春風が吹き抜け、花びらが舞い上がった。
視界を遮っていたピンク色のカーテンが開かれ、
その顔が露わになる。

もも・・じゃない。

見覚えのある笑顔。
桜貝の色に染まる頬。
ももと同じ、いや、それ以上に輝く瞳。

「ショウタ・・・?
やっぱり、ショウタだ」

弾んだ声が、僕の耳に届く。
それは、ももの弾むようなトーンとは対照的に、落ち着いて、でも、明るい声。
記憶の向こう側にいた、大学時代の同級生、杏(あん)だった。

僕は、その場に立ち尽くしたまま、言葉を失う。
杏は、僕の心の急停止には気づかず、無邪気に微笑んだ。

「久しぶり!まさかこんなところで会えるなんて」

杏は無邪気に微笑む。
ももの顔がオーバーラップして、僕には痛々しかった。

風に揺れる桃の花びら。
まるで心の中の淡い夢を嘲笑うかのように、はらはらと舞い散っていく。
そこには、ももの笑顔も甘い香りもなかった。
あるのはただ、春の陽射しと、僕を待ち受ける現実だけ。

「あの・・・もしかして、人違いだった?」

「杏・・なんでここに?」

「私、今、埼玉の農業技術センターで働いているんだ」

杏は、はきはきとした口調で話し始めた。

「具体的な仕事はね、品種開発のプロジェクト。
私は、埼玉の気候変動に順応できる新しい桃の品種を探しているの」

杏は、桃の花を見上げながら饒舌に話し続ける。

「飛騨国府には、大玉で高い糖度の『飛騨おとめ』があるでしょ。
それが埼玉の温暖な気候でも育つかどうか、
適応性を検証するっていう研究よ」

「なんで僕がここにいるってわかった?」

「だって、ショウタ。
大学のときから、田舎で農業をやりたい、って言ってたじゃない」

「あ・・・」

「それ思い出して、ショウタんちまで行ったんだから。
そしたらお父さんが、ここにいるって教えてくださったの」

杏はそう言って、いたずらっぽく笑った。

「ショウタ。
そんなとことで話しとらんと、なか入ってもらえ」

知らないうちに祖父母が僕たちの後ろに立っていた。
その姿を見た杏は、さらに相好を崩す。
僕の横を通り過ぎて、祖母の元へ。

「おじいさま、おばあさま、はじめまして。
ショウタさんの大学の同級生、杏、と申します」

「おお。おお。めんこい娘(こ)や。
そんなとことで話しとらんと、なか入ってもらえ」

「ありがとうございます!
あの・・できれば、しばらくここに滞在させていただけませんか?」

「え?」

「農園のお手伝いしながら、泊めていただきたいんです。
グリーンツーリズムで」

「なんだって?」

「ああ、あのグリーン・・・
ももちゃんと同じ・・・」

何か言いかけた祖父の腕を、祖母が軽く叩く。

「もも・・・?」

「なんでもええから、はよ中はいってあったまりや」

「ありがとうございます!おじゃまします」

こうして杏は、祖父母の農園で過ごすことになった。

[シーン3:杏のグリーンツーリズム(初夏から盛夏、初秋へ)/飛騨桃の農園】

◾️SE:蝉の声の移り変わり(ニイニイゼミ〜クマゼミ〜ツクツクボーシ〜ヒグラシ)

杏は埼玉の農業技術研究センターで働く”農業のプロ”。
たちまち農園の働き手として欠かせない存在になった。

袋がけの緻密な作業。初夏の灌水(かんすい)。真夏の収穫。

彼女は文句一つ言わず、いつも笑顔で作業した。
気がつくと僕の横にいて甲斐甲斐しく手伝ってくれる。

祖父母はそんな杏に心から感謝していた。
気遣って「2人で街に遊びに行っておいで」とも言う。

でも、僕の心は依然として複雑だった。
どうしても、素直に杏の優しさを受け入れられない。

秋。
収穫と出荷も終わりに近づき、木々の葉っぱは紅く色づき始めていた。

残暑も消え、肌寒さを感じる夕暮れ。
僕は出荷の片付けを終え、杏と一緒に桃の木の下を歩いた。

「ねえ、ショウタ・・・」

「うん?」

「私・・・あなたに言ってないことがあるんだ」

「なに?」

「実は私・・・埼玉に婚約者がいるの」

「ああ・・・そ、そうか・・・」

「それだけ?」

「え・・」

「私がここに来た本当の理由・・
ショウタは気づいてるんでしょ」

僕は言葉に詰まった。
どう答えるべきか、悩んで顔を背けたまさにその刹那。

風もないのに、杏の横の桃の枝が微かに揺れた。
それは色づいた枝を揺らしながら遠ざかっていく。
まさか・・・まさか・・

「ショウタ、聞いてる?」

「ご、ごめん!
今の僕は君の気持ちにこたえられない」

杏を残して、農園の奥まで走っていく。
だが、当たり前のことだけど、そこには誰もいなかった。

僕はいったいなにをしているんだ・・・

秋の夕陽が僕たちの影を長く伸ばしていた。

[シーン4:再会(冬〜クリスマスから新年へ)/飛騨桃の農園】

◾️SE:冬の野鳥の声

その夜、いつものように食卓を4人で囲んだ。
祖母が作ってくれる田舎料理に舌鼓をうつ。
大豆をすりつぶした汁に、国府で採れた飛騨ネギやキノコを入れ、
名産の「結旨豚(ゆいうまぶた)」を投入する。

たまには・・
と言って、祖父が僕と杏に地酒を注いだ。
杏はいつもより口数が少ない。

「飛騨ネギはな、そのまま焼いても、甘くて美味しいんやさ」

祖父はいつになく上機嫌だ。
祖母の顔にも、ほんのり赤みがさしている。

遠い目をして、ぼそっと呟く。

「ももちゃんは元気かなあ・・」

「え?」

僕と杏が同時に振り返る。
気づいた祖母は、

「あかんあかん、酔っ払ってまったわ・・」

そういいながら台所の方へ行ってしまった。
気まずい空気が流れ、僕は喉に地酒を流し込む。
目の前に置かれた瓶のラベル。
「酔翁(すいおう)」という文字が笑っているように見えた。

◾️SE:朝の野鳥の声

翌朝。

祖母が慌てた様子で僕を起こしにきた。

「ショウタ!」

「なんだよ、ばあちゃん・・・まだこんな時間じゃん」

「杏ちゃんが・・杏ちゃんが、おらん」

「えっ?」

僕は慌てて、飛び起きる。
食卓の上には短い文章で書き置きがあった。

「短い間でしたが、お世話になりました」

たった一行の中に杏の葛藤が滲んでいる。

僕が慌ててダウンジャケットをつかむと、

「始発列車はもう国府駅を出発したあとやさ」

祖母がすまなそうな顔で告げる。

僕は居住まいを正して、外へ出た。
大きく深呼吸をしたあとで桃畑へ。

農園で一番大きな桃の木の下へきたとき、
一枚の紅葉が目の前を舞った。

「追いかけなくていいの?」

「えっ!?」

「私みたいにトラウマになっちゃうよ」

目の前の桃の木。
その後ろから姿を表したのは・・

「もも!」

「彼女、あんなにショウタのこと好きだったのに」

「もも・・・」

「ショウタだって彼女のこと・・」

「ばか!」

「え?」

「いままでどこに行ってたんだ」

「あ、あたし・・・」

「さがしたんだぞ。
待ってたんだぞ・・・」

「ショウタ・・・」

「もも・・」

名前を呼びながら、気がつくと、頬を涙が伝っていた。

「だってあたし・・・怖かったんだもん」

「え・・」

「ショウタがあんな風にいなくなっちゃって・・・」

「ああ・・」

「悲しくて悲しくて・・」

「もも・・」

「またあんな思いするなんて・・私、ぜったい無理」

「ごめん・・・ホントにごめん」

「ショウタに出会わなきゃよかった、って思ったくらい」

「もも・・」

「もう二度と会わないつもりで・・」

「絶対にももの前からいなくならないから!」

「ショウタ・・」

僕は、そっとももの肩を抱いた。
ももの瞳から一筋の涙が流れる。

僕の胸にしばらく顔をうずめたあと、肩越しに顔をあげると

「おばあちゃん!ただいま!」

そう言って玄関へ走っていった。

「おじいちゃん、もう腰は大丈夫なの?」

祖父も祖母も、言葉にならない。
ただ、うん、うん、とうなづいている。

ささめ雪が桃畑の間を舞い上がる。
それはまるで満開の桃の花のように。

桃の木は何も語らない。
だが、その美しさと徳の深さゆえに、人は自然と集まる。

桃李不言(とうりふげん)、下自成蹊(したおのずからこみちをなす)。

僕の人生の道は、ももと一緒に、静かに、力強く、ここ国府で始まった。

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