「いきびな」

飛騨生きびなまつり。
それは陸上部キャプテンの月愛にとってラストランだった・・・
走ることにすべてを捧げてきた少女が、走れなくなった春に出会った“もう一つの歩み”を描きます

【ペルソナ】
・月愛(かぐら=18歳/CV:小椋美織)=高山市街地の高校3年生。女子陸上部キャプテン。父は地元一之宮町の神社で氏子総代をつとめる
・静馬(しずま=17歳/CV:日比野正裕)=高山市街地の高校3年生。男子陸上部キャプテン。地元奥飛騨温泉郷・上宝から陸上推薦で市街地の高校へ
・月愛の後輩=もも(17歳/CV:高松志帆)=月愛の後輩
・月愛の父(48歳/CV:日比野正裕)=飛騨一宮水無神社の氏子

【シーン1:6月/女子陸上岐阜県大会】

■SE/長良川競技場の歓声

「はぁっ!はぁっ!はぁっ!」
「今年こそ!」

全国インターハイの最終予選。
女子3000メートル。
飛騨地区予選を勝ち進み、県大会の決勝までたどりついた。

「負けない!負けたくない!」

6月だというのにトラックを焦がす日差し。

ラスト、100。
私の前には、誰もいない。

「よし、いける!」

「このまま逃げ切りたい」

そう思った瞬間。

私は左胸を手のひらで抑えた。
ウェアの裏側に縫い付けたお守り。

左胸に目をやり、無意識に顎を引いてしまった。
後ろから追い上げてくるライバルの息遣いが聞こえてくる。

■SE/ゴールの大歓声

100分の1秒。
瞬きよりも短い時間。
隣を駆け抜けたライバルの胸が、私よりほんの数ミリ、先に白線を越えた。

陸上競技のゴール判定は、胸の突き出し、いわゆる “トルソーの通過”で決まる。
ゴール直前、顎を引いて下を向いてしまった私は、
横から”胸を突き出した”ライバルに判定で負けてしまったのだ。

たったひとつの過ちが、私の夏を、3年間の陸上生活を終わらせた。

私の名前は、月愛。
高山市内の高校に通う三年生。
春からは東京の女子大へ進学する。

陸上部キャプテンの私にとって、最後の夏。
男子陸上部とともに飛騨地区の予選を勝ち上がり、
ここ長良川競技場でインターハイ出場をかけた決勝に挑んだ。

なのに・・・

大歓声のなか、鋭い視線を感じて顔をあげる。
スタンドに座る、男子陸上部キャプテンの静馬。
無表情に見つめているけど、きっと心の中では嘲笑っているはず。

ああ。
よりによって・・・
こんな無様な姿をあいつに見られるなんて。

静馬は、奥飛騨温泉郷のある上宝町の中学校から陸上推薦で入学してきた。
言ってみれば、中学陸上界のサラブレッド。
2年生でキャプテンになった静馬と私は、なぜかソリが合わない。

実際に顔を合わせることはほとんどないんだけど・・・
男子陸上部と女子陸上部の確執は深い。

グラウンドの利用をめぐっては毎回言い争い。

早朝にひとりトラックを走っていると、必ず後ろから追い抜いていくのが静馬。
得意げに走り去る背中を、いつも見せつけられていた。

そして、血の滲むような思いで更新した私の自己ベスト。
それをいともあっさりと塗り替えていったのも静馬。

わかってる。
そんなん単なる僻み。

だけど私、自分の実力にダメ出しされているようで、
記録会のたび、本当に傷ついた。

すべてが終わった夏。
客席のざわめきは、いつまでも私の耳にまとわりついていた。

【シーン2:3月/卒業のあと〜掌の繭玉】

■SE/トラックの練習風景

年が明け、卒業式が終わっても、私はトラックを走っている。
後輩たちと一緒に。

去年、私の失態でインターハイ出場を逃したことが
いまだに心にのしかかっている。

せめて3月いっぱいまでは後輩たちの伴走者になりたい。
私が果たせなかった夢を叶えてほしい。
そんな思いが私を支配していた。

二年生の静馬は来季に向けて、もう始動している。

私のくせは、左胸に手をあてること。
理由は、
3年間ユニフォームの裏側に縫い付けていたお守り。
卒業式のあと、私は お守り袋の糸を解(ほど)き、掌へ置いた。

中学に入った年、母が手渡してくれた大切な護符。
作ったのは母の祖母、つまり私のひいおばあちゃん。

若い頃は、岡谷の製糸工場で働く糸引き工女だった。

1952年。
第一回目の「生きびな祭り」。
18歳のひいおばあちゃんは、后役として生きびな行列に参加。
そのあと水無神社のお守りを持って岡谷へ向かったという。
当時は国鉄を乗り継いでも8時間以上かかったんだって。

ひいおばあちゃんは岡谷でお守り袋の紐を解き、自分が引いた生糸で編み直した。

それがこのお守り。
今でも真珠のような絹の輝き。

それを、うちでは代々の女性が受け継いできた。
病室の母は、私に手渡すとき、

「月愛。
これを持って、いつか生きびな行列に参加してね」

そう言って微笑む。

「生きびな祭りにはね、女の子の幸せを願う、っていう
ひな祭り本来の意味もあるのよ」
「だから、ひいおばあちゃんは大きな病気や怪我もなく人生を全うしたわ」
「私はとうとう参加できなかったから・・・」

私は言葉につまる。

「やめてよ・・縁起でもない」

「月愛の后姿、見たかったなあ・・・」

「だからやめてって」

普通は、后姿じゃなくて、花嫁姿でしょ。
一之宮で生まれ、一之宮で育った母らしい。

結局、母に后姿を見せることはできなかった。

今年、私は締切ぎりぎりで生きびな行列に応募した。
しかも、父には黙って。

氏子をつとめる父にはあえて言わなかった。

「后役」を含む「生きびな」の役職が最終決定するのは当日。
私は通知がきたとき、父にさりげなく伝えた。

「とうさん、私、生きびな行列に出ることになったよ」

そう言うと、ひとことだけ、

「そうか・・よかったな」

いつもより優しい顔で言葉を返した。
外は弥生の雪。
水無神社も今頃は白い世界に染まっているだろう。

【シーン3:3月終盤/OG月愛の伴走】

■SE/トラックの練習風景

3月の最終日。
後輩たちと伴走する最後の日。

私たちは、大八賀川のほとりを走った。
一ヶ月前には白線流しをした堤防。

「折り返しのラスト500よ!
ここから粘ってね」

と、その時。
堤防の降り口から、原付バイクが、勢いをつけて坂を駆け上がってきた。

「危ない!」

先頭を走っていた一年生の後輩は、固まって動けない。

私は、考えるより先に体が動く。
後輩の細い肩を全力で突き飛ばす。
代わりにはじき出されるようにして、堤防の急な斜面へと転落した。

ゴツン、という、生々しい音が響く。
右足が、斜面に突き出た土留め石に、激突した。
視界の端には、薄紅色のつぼみを膨らませた桜の枝。

やってしまった・・・

右足の感覚が、鈍い痛みに変わっていく。

これは・・・よくて捻挫。
最悪の場合は、骨に・・・

いや、悪いことを考えるのはよそう。

「先輩! 月愛先輩!」

後輩たちが慌てて駆け寄ってくる。
その後ろに、男子陸上部の顔も。
彼らも春の競技大会を目指して毎日走ってるんだ。

冷たい顔で、うずくまる私を見ていたのは静馬。
またしても、失態を見られてしまった・・・

3日後に開催される生きびな行列が私の脳裏をかすめていった。

【シーン4:4月3日/生きびな行列】

■SE/小鳥のさえずり

生きびな祭りの朝。

私は痛みをこらえて、水無神社へ。
配役は、后役。
やった・・

かあさん、見てる?
約束、ちゃんと果たすからね。

午後からの生きびな行列に向けてメイクと着付けをしてもらう。

重さ20kgを超える十二単。
うまく歩けるだろうか。

早朝、病院で痛み止めの注射をしてもらった。
それでも、足の疼きはおさまらない。
メイクさんが緊張をほぐそうと冗談を言ってくれる。
私は、無理やり口の端(は)を上げて笑った。

午後1時。
神事のあと、いきびな行列が出発。

旗持ちを先頭に、稚児。五人官女。右大臣。左大臣。
そして私、后にお内裏様が続く。

まさに大迫力の平安絵巻。

大丈夫。
いきびな行列の距離は、たった1km。
陸上の3000mに比べたら大したことないわ。

私は自分に言い聞かせる。

笙の音が響くなか、境内を出発した行列は参道へ。

大丈夫大丈夫。
痛み止めの薬も飲んでいるんだから。

行列は参道から沿道へ。
たった数段の階段が、足の痛みを呼び戻す。

足元は白足袋に浅沓(あさぐつ)。
その中は、薄手の伸縮性テーピングをフィギュアエイトに固定している。
これなら外からは見えない。
浅沓の鼻緒は少し緩め、かかとにはクッション性の高い中敷きを忍ばせた。
長襦袢の胸元には、もちろん、ひいおばあちゃんのお守り。

砂利の参道へ着地したとき、痛みで一瞬立ち止まった。
後ろで十二単の裾を持つ女官たちが不安になっている。

あ、止まっちゃだめだ。
歩き続けないと。

大鳥居をくぐり神橋(しんきょう)を渡る。

なんとかこらえて、一歩一歩踏みしめるように沿道を歩く。
折り返し点を過ぎて再び、参道へ向かった。

ラスト100。
陸上なら体力をふりしぼってスパートをかけるところ。

ふふ・・
こんな状況でも陸上を思い出すなんて。
もうすべて終わった世界なのに。

あ、だめだ。
激痛が襲ってくる。
顔がゆがみそう。

我慢できずに立ち止まった。
私は足元を見る。
そのとき・・

「下を見るな」
「前を向け」

え?
だれ?

いや、あの声は・・・
私は痛みと十二単の重さで振り返れない。

「足首で歩かずに、丹田に重心を落とせ」

この声!
間違えようもない、この声は・・・静馬!

なんで?どうして?

裾持ちの女官の後ろ・・傘持ち?
なんで静馬が?

「砂利を蹴っちゃだめだ」
「足を地面に”置く”ように歩け」

静馬は、境内までの間、傘で小さくゆっくりとリズムを刻んだ。
目の前に傘の影が揺れる。

そのテンポに合わせて足を動かす。
不思議だ。
足の震えが止まってる。

私は前だけを見ながら、ゆっくりと神社へ向かっていった。

【シーン5:4月3日/生きびな行列】

■SE/小鳥のさえずり

飛騨一宮水無神社に戻ると神事に参列。
記念撮影をしたあとは餅まき。
十二単だから座ることはできないけど、足の痛みはもう感じない。

私は、静馬を探したけど、どこにもいなかった。
相変わらずクールなやつ。

餅まきのあと、とうさんと話をした。

「・・傘持ち役は?」

「ああ、静馬くんか」

「知ってたの?とうさん」

「おととい、ここにやってきてな」

「え?」

「わしもちょうど生きびなの準備をしていたんや」

「ええっ?」

「月愛の傘持ちをさせてほしいって」

「なんで?」

「わしは月愛の代役を探してたんやけど」

「なに、それ?どういうこと?」

「歩けない娘を無理やり歩かせることはできんだろう」

「捻挫のこと、知ってたの!?」

「親だからな。見とりゃわかる」

「そんな・・」

「そしたら、静馬くんが『月愛を歩かせてほしい』って頭を下げるんやさ」

「うそ・・」

「自分が傘持ちをやるからって・・・
いい友だちを持ったな、月愛」

静馬・・・
今度会ったら、絶対文句言ってやる。

でも・・私は明日、東京へ旅立つ。
一之宮町最後の景色はいつもより輝いている。

あの日、100分の1秒で逃したゴール。
私は、大切なお守りを握りしめる。
今日歩いた沿道は、かつてかあさんが愛した桜色に染まっていた。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!